ケイジャン , クリオール とは?,その歴史

ケイジャンとは? 
カナダの東海岸, ノヴァ.スコシア半島周辺はその昔“アカディア”と呼ばれていました. 17世紀, 主に南フランスの農民がこの地に多く入植しました. “アカディアン”と呼ばれた彼らは敬虔なカソリック教徒で, 農業,漁業と毛皮猟を主な生業とし,先住民との物々交換も行い平和に暮らしてました.
18世紀に入るとイギリスがこの地方の支配権を強めプロテスタントのイギリスと カソリックのアカディアンとの間で衝突や争いが続いていましたが, 18世紀半ばに起こった英仏戦争にフランスは負け, とうとうアカディアン達はイギリス軍によりフランス本国へ強制送致される事になります. しかしこの措置に抵抗する人達中には当時フランスの植民地であったルイジアナへ逃げ込む者もいました.
1762年,ルイ14世は秘密条約によりルイジアナをスペインのチャールズ3世に譲渡しますが, スペインの執政官は アカディアンに同情的で フランスに送致された彼らをルイジアナへ呼び戻しました. ルイジアナへ渡ったアカディアンの多くはニュオールリンズの西側に安住の地を得て 農, 漁業, 狩猟を主な生業とし“ケイジャン”と呼ばれ, 彼らの敬虔な信仰心と楽天性は この地に音楽,料理,言語などの新しい文化をもたらしました.
ケイジャン達は古い南フランスの伝統的で素朴な田舎料理を地元で豊富に採れる魚介類や野禽類, インディアンに教わったペッパーやハーブを使って作り上げました. これがケイジャン料理の始まりです.

 
クリオールとは? 
そもそも植民地生まれの純粋なフランス人を意味していましたが,
後には宗主国と植民地のふたつの持つ言語,文化や人種の混成を
指すようになりました. ルイジアナはフランスの植民地時代から
綿花,たばこ,砂糖黍などの栽培が盛んで アフリカからの 黒人奴隷の
労働力に頼った大農園“プランテーション” が多く開かれ,これらの
農園主達は雇った料理人に贅沢なフランス料理を作らせました.
当時,州都であったニュオールリンズにもいくつものフランス料理店が開店しましたが, ミシシッピ河口のこの町はヨーロッパとの貿易港でイギリス,スペイン,イタリア,ポルトガルをはじめ多くの人種の出入りが多く,彼らの影響を受けて フランス料理もしだいに変化,混成され
クリオール料理と呼ばれるようになりました.
この様に, ルイジアナに派生したふたつの料理の起源には はっきりとした違いがるのですが今日では, アメリカ南部ルイジナの特異な料理として混同され, ケイジャン料理とクリオール料理のはっきりとした区別はし難くなっています.
1840年に開店したニュオールリンズ最古の
フレンチ.クリオールレストラン “アントワーヌ”
当店の人気料理“オイスターロックフェラー”は
1899年にこの店で創られました.
 
南北戦争前の1850年頃, ニュオールリンズの Citizen's Bank が発行した$10 紙幣 には英語で“TEN”,フランス語で“DIX”と印刷されていました. これはルイジアナが永年フランス領でありフランス語を話す人が多くいたからです. 当時, この高額な$10紙幣は人々から羨望と親しみを込めて“Dixie”ディキシー のニックネームで呼ばれました.  やがて南部連合諸州はこの “Dixie”が通用する土地柄の意味で“Dixieland”ディキシーランドと呼ばれる様になりました.
 
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